関東例会10月21日(土)

10月21日(土)に開催される例会(関東例会)をご案内申し上げます。
今回は対面のみでの開催となりますのでご注意ください。
皆様のご参加をお待ちしております。会員以外の方も歓迎します。
開催日時:2023年10月21日(土)14:00-16:50
会場:上智大学2号館6階615a会議室(JR四ツ谷駅等徒歩5分)
 
13:30 会場入場開始
14:00-15:20(質疑応答時間含む)
第一発表 
「戦間期ベトナムにおける女性をめぐる議論の一考察―1929年創刊の『婦女新聞』を中心に―」
新井悠子(東京外国語大学大学院 博士後期課程)
 
第二発表
15:30-16:50(質疑応答時間含む)
「ベトナム共和国における仏教諸団体の動向-1963年の仏教運動を中心に-」
金知雲(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科/博士課程)
[発表要旨]
1.「戦間期ベトナムにおける女性をめぐる議論の一考察―1929年創刊の『婦女新聞』を中心に―」新井悠子
 本報告の目的は、1929年~1935年にベトナム南部の都市、サイゴンで発行した『婦女新聞』という女性誌の言説分析から、当時の理想的女性像を明らかにすることにある。

 1920年代のベトナムの状況は、「第二次大開発」が行われるなかで、民族資本家の勃興、労働運動が活発になり、20年代後半からは政治運動が高まる時期でもある。また、女子教育についていうと、南部においては19世紀後半から、フランス植民地当局により女子に対して近代教育が開始されており、1920年代は、その成果が出始め、女子読者や書き手が育っていた時期でもある。仏領期に創刊した女性誌を分析した、近年の先行研究は、植民地ベトナムの「近代化」とはいかなるものだったかという視点から論じ、植民地の「近代化」の複雑さを明らかにしようとしている。ただ、これらの研究は、仏領期の女性誌におけるベトナム女性の地位についての議論は、「西洋の影響」「フランスのフェミニズムの影響」を自明視している。
 本報告では、『婦女新聞』の分析から、当時の女性誌が理想と掲げた女性像のモデルとなったのは、「西洋」「フランス」といった当時の先進諸国ももちろんだが、それ以外の地域も比重を置いていたことを明らかにする。また、それぞれの地域の女性についての記事は、必ずしも各地の実情をありのままに伝えているのではなく、編集部側が提示したい理想的女性像にあう情報を選び、記事にしていた。

以上の問題意識を踏まえ、1920年代後半という「近代化」が急速に進行する時期に、『婦女新聞』は、いかなる理想的女性像を創出したのか考察する。

2.「ベトナム共和国における仏教諸団体の動向-1963年の仏教運動を中心に-」金知雲
 本発表の目的は、1)1963年の仏教運動におけるベトナム共和国の仏教諸団体の統合過程を明らかにし、2)統合後、ほどなくして分裂に至った仏教諸団体の動向において、各団体間に存在した「ベトナム仏教(Phật Giáo Việt Nam)」をめぐる不調和が分裂の内在的原因であったことを、宗教とナショナリズムに着目して解明することである。従来、ベトナム共和国における仏教諸団体は宗派・エスニシティ・地域という諸要因によりまとまりが悪く、ベトナムナショナリズムに影響された「ベトナム仏教」に対する考え方や帰属意識は各団体によって様々であった。このような諸要因により乱立していたベトナム共和国の仏教諸団体は、ジエム政権の仏教弾圧に抵抗した1963年の仏教運動を経て仏教統合を成し遂げた。しかし、その統合は長く続かず分裂してしまった。なぜなら、1963年の仏教運動という共闘の経験は仏教統合の契機になったものの、「ベトナム仏教」に対しての仏教諸団体間の考え方や帰属意識の違いは完全に解消されたわけではなく、ジエム政権の仏教弾圧を前に一時的に覆い隠されただけであったためである。
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お問合せ:reikai30-sea[at mark]ml.rikkyo.ac.jp(地区担当理事宛)
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