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2010/06/16(水) 後藤乾一元会長による石井米雄先生追悼文

追悼 石井米雄先生 1929−2010


若々しい温顔、愛用の鼈甲製メガネ、歯切れの良い東京弁……。石井
米雄先生は去る2月12日、忽然と黄泉の世界に旅立たれてしまった。国
際的に知られた東南アジア史研究の権威、文化功労賞受賞者、京都大
学・上智大学名誉教授等々、そうした堅苦しい肩書きとは無縁な爽やか
なお人柄は、先生を知る内外の誰もが口を揃えて認めるところである。

先生は官民の数多くの組織・団体の運営にも深く関わったが、長年の
アイハウス理事としてのお仕事は国際的に幅広くご活躍された先生にと
って思い出深いものであったろう。どんなに議論が錯綜しても、先生の
笑みを絶やさないソフトな、しかし核心を衝いた一言で、瞬時のうちに
その場が丸く収まるという場面を何度目にしてきたことだろうか。これ
は学会やその他各種の会議の場においても変わることはなかった。そう
した先生ではあったが、先年最愛の奥様に先立たれたことは、とても大
きな衝撃であられたことが傍からもひしひしと感じられた。それでも昨
秋は、先生を慕う、また教えを受けた60余名の東南アジア研究者が傘
寿をお祝いする会を伊東温泉で開いた時には、いつもの快活な先生らし
く、寛がれた一夜を楽しまれ、後進たちを安堵させたのだった。それか
らわずか3カ月後の悲報であった。

私個人にとっても、先生の存在はかけがえのないものであり、さまざ
まな思い出が去来する。初めてお会いしたのは、学生時代の 1962年、
仲間 4人とタイ国への調査旅行(当時は外貨制限で、調査目的以外の学
生の海外渡航は不可能であった)を企画した時、30歳を超えたばかりの
先生を当時の勤務先である外務省にお訪ねし、8階の食堂で情熱あふれ
るレクチャーを受け、初めて訪ねる異国への思いを募らせたのだった。
それも、はや半世紀も彼方のことになる。10数年前は先生も名誉校友で
ある早稲田大学で、現在私が勤務する大学院を立ち上げる過程で、いく
どご相談に乗っていただいたか分からない。そして紆余曲折を経て1998
年春に誕生した研究科の第 1回入学式では、来賓として日英両語で心温
まる祝辞を頂いたことも昨日のことのように思われる。今年になってか
らも、2月 4日付で万年筆書きのお心のこもったお葉書を頂いたが、い
つものように流麗な筆跡は変わることがなかった。しかしそれから 2週
間後にはお別れすることになろうとは、予想だに出来ないことであった。

今はただ、先生のご冥福・ご平安を心より祈念するとともに、天上か
ら私達後輩を見守ってくださるようお願いするのみである。合掌。

後藤乾一
(早稲田大学アジア太平洋研究科教授、国際文化会館理事)


石井米雄(いしい・よねお)
歴史学者。専門は、東南アジア史、特にタイ王国研究。京都大学名誉教授。
外務省を経て、京都大学東南アジア研究センター助教授。1985年より、同セ
ンター所長。退官後、上智大学で教鞭をとり、神田外語大学学長、人間文化
研究機構長などを歴任。主著に、『タイ近世史研究序説』(岩波書店1999)
など多数。2000年文化功労者顕彰、08年瑞宝重光章受章。2010年2月12日永眠。

(本追悼文は『国際文化会館会報』21巻1号に掲載されたものを,同会館の許諾を得て転載しました。)