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事務局からのお知らせ/研究会などの案内

2009/01/31(土) 一月関西地区例会のご案内

会員各位

年末に簡単にご案内いたしましたが、東南アジア学会関西部会2009年1月例会を下記のように開催いたします。
今回は、東南アジア大陸部山地における焼畑、農業、土地利用にかかわる二つのご発表をうかがいます。ふるってご出席くださいますよう、ご案内申しあげます。

日 時  2009年1月31日(土)13:30~17:45
(尚、4時以降は玄関が閉まります。万が一4時以降に来られた場合は、このメールアドレスへご連絡ください。yhayami@cseas.kyoto-u.ac.jp

会 場  京都大学稲盛記念会館(川端通り荒神口角)3階大会議室

[報告1]
鈴木玲治氏(京都大学 生存基盤化学研究ユニット・東南アジア研究所)
テーマ 長期休閑型の焼畑移動耕作が森林植生の長期的変化に与える影響―ミャンマー・バゴー山地のカレン集落の事例―
コメンテーター 倉島孝行氏 (京都大学東南アジア研究所)

要旨
世界有数のチーク産地であるミャンマー・バゴー山地では、森林伐採や焼畑は厳しく制限されているが、19世紀末に国有林内での焼畑耕作が特別に認められたカレンエリアでは、今日でもカレンの人々による長期休閑型の焼畑が営まれている。本報告では、詳細な現地調査と衛星画像によるリモートセンシングを組み合わせ、カレンエリア内のS村で営まれる焼畑移動耕作が森林植生の長期的な変化に与えてきた影響を解析することを目的とする。
1989-2006年の衛星画像からS村の土地被覆の変化を解析した結果、木本が優占する群落の面積は1989年から2001年まで徐々に減少したものの、その後はわずかながら増加傾向にあることが確認された。また、過去20年間で焼畑に伐開されなかった場所(便宜上、残存林と呼ぶ)は村落面積の約13%にあたる657.5haであった。村落中心から約1km圏内は水源涵養や薪炭採取のための村落共有林として保全されており、その外側では村落中心から離れるほど残存林の面積割合が高い傾向を示した。また、近年はタケの優占する比較的若い休閑地で焼畑を開く世帯が増えていることが確認された。残存林を新たに伐開する余地は十分にあると思われるが、残存林の多くは村落中心から遠いため、村落中心付近に多く分布し、伐採が容易でよく燃えるタケ群落が好んで伐開されているのである。このようなタケの伐開は、休閑期の早期の植生回復を促している可能性が高い。また、現地調査で確認された伐採木の高伐りや尾根筋の森林の保全なども、休閑期の植生回復や土壌保全に寄与していると考えられる。
このような土地利用の結果、集落中心から約1km圏内は保全林、保全林の外側には休閑期12年程度で高頻度に焼畑が営まれるタケが優占する休閑林が卓越し、さらにその外側には休閑期間が比較的長く、木本が優占する休閑林が形成されている。様々な遷移段階の休閑林の存在は種の多様性を高める役割を果たしており、休閑林からの有用植物の採取も認められた。長期に及ぶ焼畑移動耕作の結果、かつてのチーク天然林は姿を変えたが、2001年以降は木本が優占する群落の減少は認められず、S村周辺の森林植生は伐採と回復がほぼ均衡した状態にある可能性が高い。現状の人口密度が維持される限りは、持続的な焼畑移動耕作が可能といえるだろう。

〔報告2]
増野高司氏(国立民族学博物館・外来研究員)
タイトル  タイの森林保護政策と山地住民の農地利用:ヤオ族の事例
コメンテーター 福島万紀氏(京都大学大学院農学研究科)

要旨
東南アジア各国において,森林保護政策をはじめとした国家政策の影響により,
住民は従来慣習的に利用してきた農地や林地を自由に利用することが困難となっ
てきている.特に山地において広く営まれてきた焼畑は,耕作地に加えて休閑地
が見られることや,森林植生を伐採・焼却することから,国家が推進する土地管
理になじまないものといわれている.本報告は,タイ北部に位置するヤオ族の山
村を事例として,住民の農地利用の変化を示すことから,森林保護政策を中心と
した国家政策に対する住民の対応を明らかにすることを目的とする.具体的に
は,1954年から2005年にかけての,住民の農地利用の変遷が示される.そのうえ
で,森林局が水源地の森林を保全することを目的として,1990年代から管理を始
めた水源管理域と,これに対する住民の対応を世帯レベルで明らかにする.そし
て,山村での生活がどのように変化し,かつ維持されてきたのかについて議論し
たい.

連絡先:
倉島孝行 tkurakura@hotmail.com
蓮田隆 hsd@cseas.kyoto-u.ac.jp
片岡樹 kataoka@asafas.kyoto-u.ac.jp
速水洋子 yhayami@cseas.kyoto-u.ac.jp

2009/01/31(土) 関西地区例会

会員の皆様へ
一月以降の関西地区例会についてご案内と発表募集です。

発表募集
関西地区例会について一月以降、下記のように計画を進めています。ついては二月以降、発表を希望される方は、 ぜひ、下記世話人へお申し出ください。特に六月の大会にて発表を予定されている方は、ぜひその前に地区例会での発表をお勧めします。(もちろんそれ以外の 方も歓迎いたします。)
また、三月は、修士論文発表会をご提案いたします。発表を希望される方ご自身あるいは指導教 員の先生方から、ご連絡をお待ちしています。

日程と場所
一月から三月は、諸方何かと行事が多く、不定期になりますが、基本的には第二土曜日定例といたします。
また場所については、京都大学のほか、発表者等によって、会員の皆様のご協力により、関西地区内の他の大学で開催することも考えております。

一月例会は下記の日程となります。1月31日(土)、発表者は増野高司氏(国立民族学博物 館)、鈴木玲治氏(京都大学)により、大陸部の焼畑耕作社会についてのご発表を、予定しています。場所は京都大学稲盛記念館3階大会議室です。詳細は追っ てお知らせいたします。

以上、どうぞよろしくお願い申し上げます。  
          
東南アジア学会関西地区例会世話人
 片岡樹 kataoka@asafas.kyoto-u.ac.jp
 倉島孝行 tkurakura@hotmail.com
 蓮田隆志 hsd@cseas.kyoto-u.ac.jp
 速水洋子 yhayami@cseas.kyoto-u.ac.jp

2009/01/31(土) 2009年1月の関東部会例会のお知らせ

会員各位


東南アジア学会関東部会2009年1月例会を下記のように開催いたします。
ご出席くださいますよう、ご案内申しあげます。


日 時
2009年1月31日(土)13:30~17:45

会 場
上智大学四谷キャンパス 中央図書館9階912会議室

(JR四谷駅、地下鉄四谷駅から歩いて6分。当日は四谷の土手に面した
正門からお入りください。)


[報告1]
報告者
高橋勝幸氏(早稲田大学アジア研究機構AHC研究所客員研究員)

コメンテーター
菊池陽子氏(東京外国語大学)

テーマ
タイ共産党の武装闘争路線への道筋:東北部シーサケート県の共産主義運動
(1949-52年)を手掛かりとして

要 旨
 1949年11月、ヨーロッパの共産党組織であるコミンフォルムの第3回会議は
平和運動を推進することを決議した。これはアメリカの軍事戦略に対する牽制で
あった。同月、北京で開かれた世界労連アジア・オセアニア労働組合会議におい
ては、劉少奇がアジアの共産党に対し中国に倣って武装闘争を開始するよう呼び
かけた。50年1月、コミンフォルムは日本共産党の平和路線を批判し、中国もこ
れを支持し、同党は武装闘争路線に転じた。3月、東側の平和擁護世界大会委員
会総会はストックホルムで原爆使用禁止を謳う宣言を採択し、署名運動が始まっ
た。この会議後、コミンフォルムは共産党と平和運動の役割分担を行なったとい
われる。すなわち、共産党は東側に敵対する戦争物資の生産・輸送の妨害を任務
とし、平和運動は幅広い人々の支持を獲得することを目指した。同年6月に勃発
した朝鮮戦争はこの流れを加速した。
 このような国際共産主義運動の指針の下に、タイ共産党は1950年から52年に
かけて、バンコクにおいて平和運動を推進し、地方においては組織活動に重点を
置いた。但し、武装闘争には及び腰であった。タイ共産党が武装闘争を準備する
のは61年9月の第3回党大会以後であり、本格的に開始するのは65年8月である。
本報告は、タイ共産党が組織活動に取り組んだ東北タイのシーサケート県に注目
することによって、同党が平和路線から武装闘争路線へと方向転換する契機の1
つを明らかにする。シーサケート県では、タイ共産党前身のシャム共産党員であっ
たベトナム人チョーイ・キアオコートが共産主義を普及していた。チョーイが共
産主義の普及状況をタイ共産党中央に知らせると、党中央は党員を派遣し、組織
活動を開始した。チョーイは植民地経験のないタイ人にラオスの独立闘争を学習
させたいと考え、タイ共産党の協力を得てそれを実現した。南部ラオスに引率さ
れたシーサケートの農民はラオス自由戦線の解放区とゲリラ闘争を視察し、さら
にラオス人を独立運動へと啓蒙していった。この研修はタイ共産党が武装闘争の
実際を把握し、その必要性を自覚する契機となったと考えられる。
 バンコクを中心とした平和運動は次第に全国に展開し、代表者会議が公然と行
なわれ、北京の平和会議に代表が出席した。また、東北タイの旱魃被災者に対す
る義捐活動も行なわれた。シーサケート県にも平和運動が導入され、義捐物資が
届けられ、運動が顕在化した。1952年11月、タイ警察は平和運動活動家を逮捕
し、政府は反共法を復活させた。逮捕はシーサケートの活動家にも及んだ。この
ような地方にも及ぶ弾圧と反共法の復活は、タイ共産党に平和路線の見直しを迫っ
たのである。


[報告2]
報告者
豊田和規氏(日本ワヤン協会会員、高校講師)

コメンテーター
青山 亨氏(東京外国語大学)

テーマ
ジャワの宮廷詩人ロンゴワルシトの思想

要 旨
 18世紀後半に中部ジャワのスラカルラ王宮を中心に文芸復興の花が開く。宮
廷詩人たちによりインドの神話的叙事詩「ラーマヤナ」や「マハーバーラタ」
を題材にした古代ジャワ文学の翻案が数多く行われた。彼らの中で特に著名な
文学者が王朝時代最後の宮廷詩人と呼ばれたロンゴワルシト(1802-1873)で
ある。
 報告者はジャワ文化解明の手がかりとしてこれまでにロンゴワルシトの代表
的作品を取り上げ、内容を紹介し、ジャワ人の世界観や歴史観、終末思想などの
考察を試みてきた。彼の六十にものぼる著作の中でももっとも魅力に富み、彼の
集大成ともいわれている作品が、ジャワ人の神話的歴史書『プスタカ・ラジャ』
(Pustaka Raja)[王の書]である。報告者はこの書がなぜジャワの民衆に今日ま
で親しまれているのかに大きな関心がある。本報告では『プスタカ・ラジャ』に
登場する王朝時代を舞台に繰り広げられる歴史ロマンス『スラット・チュンポレッ
ト』(Serat Cemporet)を手がかりに作者ロンゴワルシトの思想に迫りたい。本作
品は1870年にススフナン(王)であるパク・ブオノ九世の命により韻文形式で執
筆された。全編32章1612編からなり、プラマナ王子とスレトナ王女の恋のロマン
スが見事に謳いあげられ、ロンゴワルシトの最高傑作といわれている。

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会合費 一般200円、学生100円

(以上)